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Windflowers

美術・猫・本など興味ある事柄や日々の徒然を綴るブログです。

2009年02月の記事

ストマック・ダンス~ビアズリー『サロメ』vol.10


わたくしは支度が出来ました、王さま。
 〔サロメ七つの面紗(ヴェール)の舞踏をする。〕
ワイルド『サロメ』より

戯曲『サロメ』においてサロメの舞踏は一行のト書きがあるだけで、
「七つの面紗の舞踏」がどのようなものであるかは具体的に記されていません。

ビアズリーは「七つの面紗の舞踏」を臍を出して踊る「ストマック・ダンス」の形で表現しました。
孔雀の羽根飾りをつけ、体をくねらせて踊る姿はいわゆるオリエンタルダンスを思わせます。
異形の楽人の奏でる音楽もとても激しそうな雰囲気です。
サロメの体から舞い散る薔薇の花は彼女の踊りの蠱惑的な魅力を示しているようです。

サロメの踊りに関しては以前HPにUPしております。
「サロメ」を踊った女たち
七枚のヴェールの踊り
こちらも合わせてご覧くださいませ。

サロメの化粧~ビアズリー『サロメ』vol.9


わたくしの奴隷たちが、香料と七つの面紗とを持って来て、わたくしの靴を脱がせてくれるのを、待っているのでございます。
ワイルド『サロメ』より

サロメが舞踏をするために化粧をするという場面はワイルドの戯曲には登場せず、
『サロメの化粧』という主題はビアズリー独自のものといえます。

19世紀当時の流行のファッションに身を包んだサロメに
仮面をつけピエロの衣裳を着た化粧師が白粉をはたいています。
化粧台や部屋の様子なども大変モダンで、現代の美容院にも通じる雰囲気です。

化粧台の下には何冊かの本がありますが、それらは
『黄金の驢馬』(「プシュケとアモール」の物語も収録されている古代ローマの書物)
『マノン・レスコー』(18世紀フランスの小説で「ファム・ファタル」を描いた物語としては最初のものとされています)
『マルキ・ド・サド』、ゾラ『ナナ』などで
いずれも名だたる背徳小説とみなされていました。

この『サロメの化粧』は第2作で、第1作が検閲にひっかかった為制作されました。


道化姿の化粧師、モダンな化粧台などは第2作にも踏襲されています。
こちらでも化粧台の下に本が置かれており、
それらはボードレール『悪の華』ゾラ『大地』などです。
第2作に描かれた人物はサロメと化粧師だけですが、
第1作では三人の小姓が描かれています。
この『サロメの化粧』が検閲に引っかかったのは三人の小姓のうちの一人の行動によります。

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長椅子のサロメ~ビアズリー『サロメ』vol.8


あなたはわたくしのお願いするものは何であろうと下さいますか、王さま?
ワイルド『サロメ』より

『黒いケープ』同様ワイルドの戯曲の筋とは直接関係のない作品です。
他の作品に登場するサロメが細くたおやかな姿であるのに対し、
この『長椅子のサロメ』は着ている黒いガウン?のせいもありますが、
実に堂々たる姿に感じます。

ビアズリーの作品は白黒の原画を写真で複写し、そのフィルムを原版とする
ラインブロックと呼ばれる技法で制作されています。
この技法の欠点は中間のトーンを表現することができないということで、
ビアズリーはその欠点を見越して白黒のはっきりした画風で絵を描いています。

ヘロデの眼~ビアズリー『サロメ』vol.7


そなたはそなたの娘があんなに蒼い顔をしているのに気がつかぬのか?

あれが蒼い顔をしていようがいまいが、それがあなたにどうしたと仰せられるのです?
ワイルド『サロメ』より

サロメはヘロディアスが前夫(ヘロデの異母兄)との間にもうけた娘で、
ヘロディアスはサロメを連れてヘロディアスと再婚しました。
ヘロデは妻の連れ子のサロメに好色な視線を向けており、
ヘロディアスはそのことに苛立ちを隠せません。

ワイルドを戯画化した顔立ちのヘロデ王は、
静かに佇むサロメを見つめています。
ビアズリー描くサロメはずいぶんと大人びた雰囲気ですが、
ワイルドは彼女の年齢を14歳くらいに想定していたようです。

『サロメ』連作を通じてしばしば登場するモチーフに
「孔雀」「薔薇」「蝶」があります。
今回の『ヘロデの眼』においても孔雀の羽根飾りを頭につけたサロメの他
薔薇の生垣と孔雀、木にとまった蝶が描かれています。
この三つのモチーフはいずれもビアズリーにとって美の象徴であり、
連作全体を通じてしばしば登場します。

「薔薇」はヴィーナスの花とされ、美と愛を象徴するものです。
「蝶」は古来魂の化身とされ、キリスト教では復活の象徴ともされました。
「孔雀」の象徴するものについては以前記事にしております。
ビアズリーの作品ではその象徴性と装飾的な美しさが結びついて
きわめて高い視覚的効果をあげています。

千露で希望したよ(BlogPet)

きょうは、斬首刑独立したかったみたい。
でも、きょうは預言ー!
それで千露で強調するはずだったみたい。
だけど、千露で希望したよ♪

*このエントリは、ブログペットの「さつき」が書きました。

ヘロディアス登場~ビアズリー『サロメ』vol.6


あればかり御覧なされてはなりませぬ。あなたはいつもいつもあれを見つめてばかりおられますよ。
ワイルド『サロメ』より

ヘロデ王、王妃ヘロディアス、及び廷臣たちが月の見えるテラスへ出てきます。
ヘロデは月の中に酒に酔ったようなまる裸の女を見出しますが、
ヘロディアスにはただの月にしか見えていません。

ビアズリー描く尊大な物腰のヘロディアスは
彼が描いた皇妃メッサリーナやヴィーナスを思わせます。
王妃を先導するワイルドの顔をした道化は『サロメ』の脚本を抱えています。
小姓は右手に仮面を持っていますが、
この仮面はビアズリーの作品中にしばしば登場するものです。

『ヘロディアス登場』の挿絵は局部を露わにした小姓の姿が検閲に引っかかったため
修正を余儀なくされました。
ビアズリーはその部分に大きなイチジクの葉を書き添えて修正しましたが、
逆に局部の存在が強調される結果となっています。

プラトニックな悲嘆~ビアズリー『サロメ』vol.5


ああ! なぜわたしはあの人を月に見られぬように隠しておいてやらなかったのだろう? どこかの洞穴の中にでも隠しておいてやったら、月はあの人を見なかったろうに。
ワイルド『サロメ』より

ヨカナーンへの欲望を募らせてゆくサロメを見て絶望したシリア人ナラボは自ら命を絶ちます。
ヘロディアスの小姓は彼の死を嘆き悲しみますが、
サロメはナラボの死に心動かすことなく、
ただひたすらにヨカナーンの口に接吻することだけを求めています。

小姓にとってナラボは「兄弟よりも親しい」存在で、
ナラボは小姓から贈られた瑪瑙の指環をいつもはめていました。
「プラトニックな」とあるようにこの二人の間には深い関係はなかったと思われますが、
ナラボがサロメだけを見つめていることを苦々しく思っていたように
小姓は明らかにナラボに対して恋情を抱いていたことが読み取れます。

ナラボはサロメに恋心を抱いていましたが、
彼が好んでいたものがもう一つ小姓の言葉で明かされています。
それは「川の水に映る自分の姿を見る」ことです。
小姓はそれを咎めていますが、彼はそのことをどうやらやめなかったようです。

ナラボが恋した「サロメ」は生身の女性ではなく
彼が理想化した「鳩のような」「白薔薇のような」幻影だったのではないかと思います。
その「理想の女性」が生身の男に恋し欲望を募らせてゆく姿を見るのは
彼にとって耐えられないことだったのでしょう。

水面に映る自らの姿と月に映る幻の王女を愛したナラボは
「人間」を愛することの出来ない人だったのかもしれません。

閑話休題~サロメが恋した男

サロメが恋した預言者ヨカナーンとは洗礼者ヨハネのことです。

ヨハネの母は聖母マリアの従姉妹エリザベツで、
彼はキリストの又従兄弟に当たります。
ヨハネは少年時代に一人荒野に修行に出て、
駱駝の毛皮を纏い、蜂蜜とイナゴを常食として過ごします。
その後説教師としてその名が知られるようになったヨハネは
自らを旧約聖書の預言者イザヤの言葉を引用して
「私は荒野で呼ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と」いい、
救世主の先駆者であると述べています。
彼はヘロディアスが前夫の兄弟であるヘロデと再婚したことを糾弾したために投獄され斬首刑に処せられます。

絵画においては毛皮を身にまとった苦行者の姿をとることが多く、
古い時代の作品では髭を生やしやせ細った様子で描かれています。
聖母子とともに描かれる場合には
幼子イエスと戯れる愛らしい幼児の姿で描かれます。

ルネサンス期からバロック期にかけて洗礼者ヨハネは時に美少年や美青年の姿でも描かれました。


荒野で修行する少年時代のヨハネを描いたラファエロの作品です。
十字架を指差す姿は彼がキリストの先駆者であることを示しています。
甘美な聖母子像で知られるラファエロですが、
この作品は甘さを感じさせないものに仕上がっています。


マニエリスムの画家ブロンズィーノの作品です。
体をひねったポーズが独特の存在感を醸し出しています。


官能的な少年像を数多く描いたカラヴァッジョの作品です。
この作品は初期に描かれたもので、
暗い背景から美しい裸身が浮かび上がる様子が印象的です。
表情も柔らかく荒野の苦行者というよりも神話の羊飼いといった風情です。


グイド・レーニの作品です。
彼が何点も描いた聖セバスティアヌス同様
この洗礼者ヨハネも甘美な魅力を放っています。


レオナルド晩年のこの作品は数ある洗礼者ヨハネ像の中でも最も謎めいたもので、
両性具有的な魅力に満ちています。
豊かな髪、謎をかけるような瞳、微笑をたたえた口
サロメが恋し、欲望を募らせたヨカナーンとはこのような雰囲気だったのではないかと感じます。

(今回意図的に図版をモノクロにしております。クリックするとカラー図版が現れます。)

ヨカナーンとサロメ~ビアズリー『サロメ』vol.4


ならぬ! バビロンの娘! ソドムの娘! ならぬ!

わたしはお前の口に接吻するよ、ヨカナーン。わたしはお前の口に接吻するよ。
ワイルド『サロメ』より

預言者ヨカナーンに興味を抱いたサロメは、彼を地下牢から引き出させます。
サロメはヨカナーンに魅了され様々な美辞麗句でもって彼に語りかけますが、
ヨカナーンは激しい呪いの言葉を吐いてサロメを罵倒します。
彼はサロメを「バビロンの娘」「ソドムの娘」と呼びますが、
バビロンとソドムはともに悪徳と頽廃の都として聖書に登場しています。

サロメはヨカナーンの容姿を様々な形容で讃美してはヨカナーンに否定され、
否定されればその部分をけなし、また新たな部分を褒めて求めていきます。
最初「草原の百合」や「山々に降り積もる雪」のように白い体を讃え、
次いで「黒い葡萄の房」や「レバノンの山の杉」のように黒い髪を褒め、
彼に触れることを望みますが拒絶され、
最後には「柘榴の実」や「珊瑚の枝」のように赤い口を求め、
その口に接吻することだけに欲望を集中させていきます。

「雪のように」白い肌、「黒檀のように」黒い髪、「血のように」赤い唇といえば
童話の「白雪姫」を連想します。
『サロメ』の作中ヨカナーンの容姿は
一般的に女性に対して使われるような形容詞でたとえられています。
ビアズリーの描く中性的というよりもむしろ少女のような雰囲気を醸し出すヨカナーンと
欲望を隠すことなく恋焦がれる相手に迫るサロメの姿からは
性別逆転した倒錯的な"boy meets girl"の物語が読み取れそうです。

黒いケープ~ビアズリー『サロメ』vol.3


あれはいかにも変な様子をしている。琥珀の眼をした小さな王女のようだ。軽羅の雲越しに小さな王女のように微笑んでいる。
ワイルド『サロメ』より


上は若いシリア人ナラボの台詞で、彼は「小さな王女」のような月を見上げています。

『黒いケープ』はワイルドの戯曲の場面とはほぼ無関係の独立した作品です。
サロメの黒い衣裳は紀元前後のユダヤの王女としてはもちろんのこと、
19世紀のモードとしても大変斬新なデザインです。

背景その他の要素を一切排し、黒の面と必要最小限の線で構成された量感豊かな表現は、
「黒」という色の持つ魅力が最大限に生かされたものだと思います。