古くから「踊るサロメ」の姿は様々な形で視覚化されています。
中世の羊皮紙に描かれた細密画や教会のレリーフなどには
まるで曲芸師のように逆立ちして踊るサロメが表されています。
ルネサンス期になると優美に裳裾を翻して踊るサロメが描かれるようになります。

左からフィリッポ・リッピ、ゴッツォーリ、ギルランダイオの描くサロメです。
リッピの描く踊るサロメはこの主題を描いたルネサンス絵画の中でも
最も美しいものの一つではないかと思います。
この作品に見られるような流麗な線描は後に弟子のボッティチェリに受け継がれます。
ゴッツォーリはメディチ家の人々を東方三博士として描いた豪華な壁画で知られれています。
ギルランダイオは宗教画のほかに優美な貴婦人の肖像画でも知られ、
この壁画に描かれたサロメも美しい貴婦人として描かれています。
バロック期に入ると「踊るサロメ」よりも「ヨハネの首を持つサロメ」のほうが多く描かれるようになり、
18世紀以降は宗教的主題そのものがあまり描かれなくなりました。
「踊るサロメ」の姿が復活したのは19世紀後半モローの手によってです。
彼の描く踊るサロメはその後のサロメ像に決定的な影響を与えました。

『ヘロデ王の前で踊るサロメ』では蓮の花を手にし、爪先立ちで踊るサロメが描かれています。
ワイルドは絢爛豪華な装いのサロメを「ビザンティン的」と感じ、
自らの『サロメ』のイメージの源泉としました。
ユイスマンスはこのサロメに
「近づく者、見る者、触れる者すべてに毒を与える『女獣』」としての姿を見出しました。
こうして「宿命の女―Famme Fatale」としてのサロメ像が確立したのです。

クリムト『期待』は別名『ひとり踊るサロメ』と呼ばれています。
黄金に輝く様式化された表現はまさしく「ビザンティン風」といえます。
官能的な女性像を数多く描いたクリムトですが、
ここに描かれているのは少女といっていいような幼い風貌の女性です。
無垢な乙女の「目覚め」と「期待」が描かれているように思えます。

バレエ・リュスの衣裳デザインを手がけたレオン・バクストによる『サロメ』です。
実際に踊ることを想定してデザインされた衣裳のため、非常に軽やかな雰囲気です。
この衣裳からサロメの踊りはそれまでヨーロッパで一般的だった踊りとは異なる
東洋的な踊りとして表現されたことが分かります。

シュトゥック描くサロメです。
半裸で上半身を仰け反らせ、激しく腰を振って踊る姿は
モローやクリムトが象徴的に表していたサロメの「女」としての姿をむき出しにしたものといえます。
ピカソはサーカスの軽業師のような裸で踊るサロメを描き、
ヴァン=ドンゲンはベリーダンサーのようなサロメを描いたように
20世紀に入ってからも「踊るサロメ」は描かれましたが、
「宿命の女」としての業を一身に受けたかのようなサロメが生み出されることはありませんでした。
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