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Windflowers

美術・猫・本など興味ある事柄や日々の徒然を綴るブログです。

2009年03月の記事

Saint Sebastian vol.9


モロー 聖女たち(聖セバスティアヌス) 1869



モロー 聖セバスティアヌス 1869頃


セバスティアヌスは矢を射られた後放置されていましたが、
そこへ通りかかった寡婦イレーネの介抱によって息を吹き返します。
この場面は処刑と並んでジョルジュ・ド・ラ・トゥールをはじめ数多くの画家が描いています。

モローの2点の作品はほぼ同時期に描かれたもので、
どちらも非常に繊細で美しいものです。
しかし一方が縦長で他方が横長の画面、
一方は大地の色が目立つ暖色系の色彩で、
他方は空の色が支配する寒色系の色彩など
この2点は実に対照的な様相を呈しています。

聖女たちに抱き起こされるセバスティアヌスの姿は
『ピエタ』のキリスト像を彷彿とさせます。
モローは1862年に聖堂に納めた連作『十字架の道行』の中で
『墓に降ろされるイエス』と
『十字架から降ろされ母に委ねられたイエス』を描いていますが、
『墓に…』のイエスと『聖女たち』のセバスティアヌス、
『十字架から…』のイエスと
『聖セバスティアヌス』のセバスティアヌスのポーズは極めて似ているのです。
モローはそれぞれのイエス像に呼応させてセバスティアヌス像を描いたようです。

モローは母親や恋人など身近な女性の愛情に包まれて暮らしていました。
そんな彼が描く「傷ついたセバスティアヌスを介抱する聖女たち」は
穏やかで優しく愛情に満ちた様子で、
これが凄惨な処刑の場面の後であることを忘れさせるようです。
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Saint Sebastian vol.8


モロー 聖セバスティアヌス

モローは何点もセバスティアヌスを描いていますが、
こちらはモローには珍しい半身像です。

完全に真正面を向いた姿や中世風の黄金の光背、そしてくっきりとした目鼻立ちなど
どことなく東方のイコンを思わせます。
未完成の作品であり背後の兵士たちは明瞭に描かれていないのですが、
そのことがかえってセバスティアヌスの姿をより鮮明に浮かび上がらせています。

セバスティアヌスの体には矢が刺さっていないことから
これは処刑執行前の様子を描いたものと考えられます。
彼は信仰に殉じて死に臨む聖人のはずなのですが、
彼の表情からは不安・恐怖のような感情しか見えてきません。

まるで「神」のような様子で描かれながらも、
彼は弱さをも持った「人間」であるということを
このセバスティアヌスの表情は表しているかのようです。

Saint Sebastian vol.7


コロー 聖セバスティアヌス 1850-51

コローといえば独特の銀灰色に煙るような風景画や
『真珠の女』『青いドレスの女』のような女性像がよく知られていますが、
こちらは宗教的題材を扱ったものという点と、男性単身像であるという点で
コロー作品としては異色のものといえるでしょう。

図像的にはルネサンス以来のセバスティアヌス像と大差ありませんが、
どこか物憂げでアンニュイな表情に独自の魅力を感じます。


コロー 風景の中の聖セバスティアヌス 1853

こちらは矢を射られて放置されていたセバスティアヌスが
通りかかった女性たちに介抱されている様子です。
画面上部の天使(プット)たちの姿は
この場面が聖なるものであることを示しています。
森の風景の美しさはコローならではです。

Saint Sebastian vol.6(BlogPet)

千露の「Saint Sebastian vol.6」のまねしてかいてみるね

グイド・レーニは困難ですが魅惑さとなってしまった刹那、こちらに耐えるという姿を仰ぐ穏やかな女性像をたたえたセバスティアヌス像をたたえた。
上の告白』のによって聖性といえるでしょう。

*このエントリは、ブログペットの「さつき」が書きました。

Saint Sebastian vol.6


グイド・レーニ 聖セバスティアヌス 1615-16

その絵を見た刹那、私の全存在は、或る異教的な歓喜に押しゆるがされた。私の血液は奔騰し、私の器官は憤怒の色をたたえた。
三島由紀夫 『仮面の告白』より

上の絵は『仮面の告白』の主人公が魅惑され、その虜となってしまったセバスティアヌス像です。

2本の矢が彼の体に刺さってはいますが、
天を仰ぐ穏やかな表情や薔薇色の頬からは苦痛に耐えるという姿を見出すことは困難です。
少年の初々しさと青年の凛々しさを併せ持つこのセバスティアヌスからは
どこか危うい魅力が漂っています。

17世紀イタリア・バロックの画家グイド・レーニは優美な女性像を数多く描いていますが、
彼はまたセバスティアヌス像も幾度となく描いています。



上の作品のヴァリアントですが、
こちらに描かれたセバスティアヌスはやや幼い印象を受けます。
豊かな巻毛が愛らしい美少年といった雰囲気を強調するようです。



レーニはこのポーズのセバスティアヌス像を何点も描いています。
暗い風景から浮かび上がる後手に縛られた裸身は実に官能的です。

ルネサンス後期のソドマによって聖性と官能性を併せ持つセバスティアヌス像が完成されたといえますが、
レーニのセバスティアヌスは更に倒錯的な魅力を持つに至ったといえるでしょう。

LPレコードの日! (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ LPレコードの日!
「はじめて買ったCD(レコード)は?」
私がはじめて買ったLPレコードは「キャンディ・キャンディ」です。
厳密に言えば「自分で買った」のではありませんが、
幼稚園の頃買ってもらいました。(歳がばれますね…)

ちなみにはじめて買ったCDは廉価版のピアノ名曲集です。
これは大学生になってから買いました。

Saint Sebastian vol.5

「聖セバスティアヌス」といえば裸体に矢を受けた美青年の姿で描かれることが多いのですが、
肖像画のような雰囲気で描かれたものも存在します。



ラファエロの初期の作品です。
人物の柔和な目元口元にはペルジーノの影響が見られます。
右手に持つ矢は彼が聖セバスティアヌスであることを示すものです。



ルネサンス期のイタリアの画家の作品です。
わずかに微笑む口元が印象的です。
ウェーブした美しい髪などが両性具有的な魅力を醸し出しています。


バロックの画家カルロ・ドルチの作品です。
ドルチは『悲しみの聖母』『聖カエキリア』など半身像の聖人画を数多く描いています。
半裸で天を仰ぐ美青年の姿は神々しさと同時にどこか危うさも感じさせます。

いっぱいCMが流れてますが・・・ (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ いっぱいCMが流れてますが・・・
「あなたのお家、もう地デジ?」
わが家には茶の間、父の部屋、母の部屋、私の寝室(以前の祖母の部屋)に合計4台のテレビがありますが、
地デジに対応しているのは父の部屋のテレビのみです。
あとの3台は2011年7月ぎりぎりまで現状維持の予定ですが、
定額給付金が出ればチューナーを取り付けるかもしれません。
2011年7月以降に地デジ対応に出来なかった場合は
父の部屋に押しかけてテレビを見る予定です。

最近はネットにはまってしまったせいか、ほとんどテレビを見なくなりました。
毎週欠かさず見ている番組は「ポチたま」くらいです。
愛媛では金曜午後2時から放送しています。

漫画週刊誌の日! (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 漫画週刊誌の日!
「読んでる週刊誌を教えて!」
今日が「漫画週刊誌の日」というのは初めて知りました。
私は漫画週刊誌は買ったことが無いのですが、
子供の頃ピアノ教室で「ジャンプ」「マガジン」「サンデー」「チャンピオン」などを読んでいました。
生徒はほとんど女子だったのですが、なぜか置いてある雑誌は少年雑誌ばかりでした。
自分で買っていたのは「なかよし」「ひとみ」でした。

今は特に週刊誌は買っていないのですが、
数年前には「週刊世界の美術館」「週刊世界遺産」「週刊アートギャラリー」などを買っていました。
これらは本の薄さのわりに情報量は多く、図版も綺麗なので読むのは楽しいのですが、
全部たまると置くスペースが無くなってしまうのが難点です。

研究(BlogPet)

きのうさつきが、千露と礼拝するはずだったの。
それできのうさつきが、千露は研究したの?
だけど、千露で一つへ追求されたみたい…

*このエントリは、ブログペットの「さつき」が書きました。